邑久光明園ESDプロジェクト ぼらばん

「ぼらばん」自体は、2007年、神戸大学大学院人間発達環境学研究科ヒューマン・コミュニティ創成研究センター(以下、「HCセンター」と呼ぶ。)のプロジェクトとして始まりました。 阪神間の大学生・NPO関係者・大学教員・社協職員・社会教育行政職員らが協力して、新しい総合型ボランティアプログラムを創成するプロジェクトです。

「中高生や大学生が活き活きと活動できるボランティア活動、現場の人に喜ばれるボランティア活動、社会的意味を増幅しえるボランティア活動」を目標に、メンバーが誘い合って多様なボランティア活動を経験するトリッププログラムや、活動の意味を仲間で探究するリフレクションプログラム、自分たちで主体的に新たな活動を企画するボランティア企画創成プログラムなどの多くの活動を行ってきました。

そうしたなかで、この<邑久光明園ESDプロジェクト>は、ぼらばんが最も大切にしてきた活動のひとつです。国立ハンセン病療養所邑久光明園(岡山県長島)で、草刈り、海岸清掃などの「ボランティアの基本」となる地道な活動を行いながら、現地の人々、土地とのつながりをゆっくりと紡いできました。 参加者は、ハンセン病問題とは何か、ボランティアとは何か、自分はいったいどんな人間なのか、を仲間と共に探り、発見していきます。

2009年からは「長島という島全体が人の集まる生き生きとした場所になってほしい、これから新しい出会いの島になってほしい」という思いを込めて、 『つどいの広場開墾事業』を始めています。これからは、島の産業振興もお手伝いしたいと考えています。 約100年間止められてきた時計の針を、ハンセン病快復者やその支援をする人たちと共に、私たちの力で動かしていこう、という取り組みが、邑久光明園ESDプロジェクト・ぼらばんです。

※多様な活動に多くの人がボランティアとして参加する新しい仕組みは、現在、リニューアル中です。乞うご期待。

邑久光明園って?

邑久光明園は、瀬戸内海の「長島」という島にある国立ハンセン病療養所です。
長島には、邑久光明園のほか、長島愛生園という療養所もあります。 われわれは、ご縁あって、2007年から邑久光明園の管理区域で活動をしています。

日本には、1996年までの約90年間、ハンセン病患者の隔離を定めた法律、「らい予防法」が存在し続けました。 患者は強制的に療養所に収容され、家族や故郷から引き離されました。 姓氏を変えられた人もいました。 この島の産物は島外で取引されることもこれまではありませんでした。
患者の病気が治り、「らい予防法」が廃止された後も、「長島」は差別と偏見によって隔てられ、 社会から置き去りにされてきました。

現在、入所者の減少・高齢化を受け、邑久光明園では園存続のための「将来構想」実現に向けた動きが始まり、 ぼらばんも、それに寄りそった活動を展開しています。

ESDって?

「ESD」って聞いたことありますか?
英語のEducation for Sustainable Developmentの各単語の頭文字を合わせたものです。 日本語では「持続可能な開発のための教育」と訳されています。
「持続可能な開発」という言葉は、 「地球温暖化」「オゾン層の破壊」「核実験」「戦争」「魚の乱獲」「大規模な森林伐採」など、 地球をややもすると破壊しかねない問題とセットになって、 1970年代後半より国際舞台で用いられるようになりました。 20世紀末からは、国連や国家レベルで地球環境問題が討議されるようになり、 「さあ、たいへん、地球がもたないよ」と、さまざまなキャンペーンがマスコミなどで展開されました。 環境教育が学校などでせっせと行なわれるようになったのもこの頃です。

ところが、こうした努力にもかかわらず、「実効性が乏しい!」ということが、 さまざまな調査の結果で明らかになってきました。 例えば、地球温暖化に影響を与えるCO2の問題を今もなお解決できないことは、 みなさんもよく知っているでしょ?いろんな原因が考えられますが、 「どうも、われわれの生活スタイルや考え方を変えなくてはだめではないか」 ということが囁かれるようになっています。

どうすれば、われわれの今の生活を変えられるでしょう? また、どのように変えるべきなのでしょうか? 難題ですね。いまだ確たる方法はみつかっていません。 世界中の偉い専門家達が道筋をつけてくれるのでしょうか?  そんな天才はいそうにありません。われわれ一人ひとりが、考えなくてはなりません。

そんななか、「地球の未来を大切に考え責任ある行動ができるような人間を育てよう!」 と提案されているのが、「ESD」です。 時間がかかっても、環境・人権・福祉・貧困・開発に関連する現代的課題を総合的に判断し、 地球の永続的な発展を見すえることのできる人間またはそうした集団を育成することこそが大切だということです。

では、どうやったらESDが生まれるのでしょうか?
われわれは、ボランティア活動こそESDを生み出す社会装置ではないかと考えています。ボランティアを通して、多様な問題やそれに取り組む人たちと出会います。その出会いの中で、問題の複雑さや問題間の矛盾などに気づきます。こうした出会いと学びを通して多様な観点をもった多元的な実践集団が育まれるのではないかと考えているのです。  邑久光明園ESDプロジェクト・ぼらばんは、<自発的な動きや自由な発想が、ボランティア活動やワークキャンプを通してコミュニティ化し、さらに、ハンセン病をめぐる歴史的現実とふれることで、活き活きとしたESDが立ち現れる>ということを、実現しようとするプロジェクトなのです。  ちょっと、難しい説明になりました。ごめんなさい。

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